『サラマンカ旧市街』は
ユネスコにより、 1988年に、世界遺産に登録されました。
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8世紀からレコンキスタ
(キリスト教国による
イベリア半島の再征服活動) が進み、
サラマンカが、キリスト教圏になりますとアルフォンソ9世によってサラマンカ大学が
設立され、サラマンカは
「知識を欲するものはサラマンカへ行け」
と
言われるほどになりました。
「知識を欲する者はサラマンカへ行け」
サラマンカ大学
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と言わしめた。
サラマンカ大学は、1218年に創設されたヨーロッパで3番目に古い大学で、
「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスも学んだところです。
サラマンカ大学は、ボローニャ、パリ、ロンドンと並んで、
ヨーロッパ四大大学としてローマ教皇から認定されました。
最先端の知識を求めて、ヨーロッパ各地から学生たちがやってきた、
サラマンカ大学は
3世紀、人々が文字の読み書きもままならなかった時代に、誕生しました。
のちにセルバンテス以外にも、スペインの歴史に名を残す多くの哲学者や宗教家も、この大学で学んでいます。
サラマンカ大学の図書館
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貴重な知の遺産が残されている大学の図書館。
大学の図書館には、活版印刷術が普及する以前の写本をはじめ、
なかでも、のちの大航海時代を知識の面から
支えることとなりました、天文学や地理の研究はかなり発達していました。
サン・エステバン修道院
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なかでも、特筆に価しますのは、
コロンブスも滞在したサン・エステバン修道院の主祭壇衝立です。
この芸術スタイルは、のちにサラマンカからアメリカ大陸へも広まりました。
優れた芸術が、花開いた知の拠点サラマンカの知は、アメリカ大陸へも渡ったのです。
(それが、ネイティブアメリカンへ幸せを伝えたかどうかは、疑問ですが・・・。)