フォンテーヌブロー宮殿と庭園


ユーキャン通販ショップ 「世界遺産紀行 DVD全10巻 」

世界遺産紀行 DVD全10巻


「ルネサンス」「フォンテーヌブロー宮殿と庭園(フランス)」

『フォンテーヌブロー宮殿と庭園』は
ユネスコにより、 1981年に、世界遺産に登録されました。



画像引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フォンテーヌブロー宮殿と庭園

『フォンテーヌブロー宮殿と庭園』は、
フランスのセーヌ=エ=マルヌ県に在りますフランスで最も大きな宮殿です。

フォンテーヌブロー城とも呼ばれます。

基本的な建築構造はフランソワ1世によりますが、
宮殿の現在の姿は多くのフランス王による築城の結実でもあります。

建物は中庭を囲むように広がり、フォンテーヌブローの街が、
かつての王の狩猟場(フォンテーヌブローの森)跡を取り囲むように発展しています。


ナポレオンとフォンテーヌブロー宮殿


「将軍たちよ、士官及び下士官達よ、皆にさよならを言う。」

サラマンカ大学

フォンテーヌブローの宮殿と庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

パリ陥落の折、ナポレオンは、フォンテーヌブロー宮殿中庭で
こう演説し、皇帝を退いたといいます。

フランス革命の後をまとめあげ、帝政を敷き、
ナポレオン戦争と呼ばれる戦争で全ヨーロッパを侵略し、席巻するも敗北。

今でもフランスを代表する英雄として抜群の知名度を誇るナポレオン。

(彼をヒトラーの様な、
  独裁者とみる向きもある、反ナポレオン派も少なくないですが・・・。)。

ナポレオン



当時のイギリスの首相ウィリアム・ピットは、
「革命騒ぎの宝くじを最後に引き当てた男」と
ナポレオンを評し、

一方でゲーテは、「徳を求めたもののこれを見出せず、権力を掴むに至った」と 評しています。


フォンテーヌブロー
宮殿中庭で皇帝を退いたナポレオンですが、

当時、フランスを囲むヨーロッパ諸国はまだ
「王族・貴族」が治める国家でしたので、
当然、諸外国の支配者の考え方は、
「反フランス革命」でした。

フランス革命の申し子であるナポレオンが負けて、 フランス革命以前の体制に戻すことがフランス以外の政府の共通目的でした。

しかし、諸外国の利害が絡み
後に「会議は踊る」といわれたウイーン会議で
戦後処理にもたもたしている間に
ナポレオンは復帰してフランス皇帝に返り咲き、再度敗れて、今度は遠隔地の
セントヘレナ島に流されたのです。



ナポレオンは「フランスの無産大衆の革命欲求」によって生み出されましたが、

「フランスの無産大衆が革命によって保守化した中産大衆となったため敬遠される
ようになり、歴史からの退場を余儀なくされたのである。」

というところと歴史家の間では考えられています。

ナポレオン戦争では約200万人の命が失われ、その大きな人命の喪失と
ナポレオン自身の非人道さから国内外から
「食人鬼」「人命の浪費者」「コルシカの悪魔」と 酷評もされました。
 (現在もこのような評価もあります。)

しかし、ナポレオンにより、支配された諸国では、フランスと同様の民法が
移植され 領主の支配や農奴制を打破し、憲法と議会をおき、
フランス式の行政や司法の制度を確立しました。

短い期間ではありましたが、ナポレオンに支配された諸国は、急激な変化を経験し、
列強の君主たちはナポレオン退位後にヨーロッパ社会をフランス革命以前にもど
そうとしたましたが、その時には、既に社会の仕組みは、変化しており、
新しい政治勢力が生まれていたのでした

また、長くフランスの支配をうけた地域では工業化がはじまり、
19世紀にはヨーロッパの先進地帯となって行くのでした

フォンテーヌブロー宮殿


さて、ナポレオンについて熱く語ってしまいましたが。(笑)

世界遺産『フォンテーヌブロー宮殿と庭園』を見ていきましょう。

ルネサンスがフランスに渡ってきたときの舞台はフォンテーヌブローです。

前述しました通り、
フォンテーヌブロー宮殿の現在の姿は多くのフランス王による築城の結実でもあります。

その中でも、基本的な建築構造はフランソワ1世によります。

フランソワ1世といえば、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘し保護したことで
よく知られており、フランス最初のルネサンス君主とされている人物です。

フォンテーヌブロー宮殿の内装は、イタリアのマニエリスム様式を
フランスに導入しフランス風に解釈し直した物です。

フォンテーヌブロー宮殿の内装

「フォンテーヌブロー様式」として知られています、16世紀のフランスにおける
マニエリスム様式の室内装飾は、彫刻、金工、絵画、漆喰装飾、木工を組み合わせ、
屋外庭園には図案化した花壇のパルテアなどを取り入れたものです。

フランス革命時、フランス国家の資金集、ブルボン朝が、再び力を得られないように
する目的もあり、調度品が売り払われるなど長い革命騒ぎの間に王宮内の全ての物は、
売却されたため空っぽになり宮殿は荒廃しました。



皇帝ナポレオン・ボナパルトは、荒廃した宮殿をブルボン朝における
ヴェルサイユ宮殿同様、フォンテーヌブロー宮殿を自分の権威の象徴にしようとして
玉石の敷かれた入り口を広げて四輪馬車が通れるようにするなど、
ナポレオンはフォンテーヌブロー宮殿を大幅に改築しました。

Cour d'Honneur(栄光の中庭)

Cour d'Honneur(栄光の中庭)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

現在の観光客が目にする宮殿は、この当時の姿が中心です。

フォンテーヌブロー宮殿は、甥の
ナポレオン3世によるフランス第二帝政の舞台ともなりました。

幾何学的・人工的なフランスの庭園


日本やイギリスの庭園は、どちらかと言うと自然のありのままを生かした、
という感じですが、フランスの庭園は、非常に幾何学的・人工的な感じがして、
日本人が見たら、珍しくて、とても興味を持ってると思います。

ヴォー=ル=ヴィコント城の庭園
『フォンテーヌブロー宮殿と庭園』には出てきません。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ですから、フランス式の庭園に関して、もっとよく知ることが出来る
という意味では、当サイトで紹介しています、

「ユーキャン 世界遺産 DVD 第3巻 ルネサンス」
「フォンテーヌブロー宮殿と庭園(フランス)」は、
一般の観光客が立ち入れない場所にもユネスコの公認で入って
撮影していますので、とてもオススメできます ♪

ユーキャン「世界遺産DVD 第3巻 ルネサンス」
『フォンテーヌブロー宮殿と庭園』
フランス屈指の広さと美しさを誇り、
フランスを支配した歴代の王たちが最も愛した
「フォンテーヌブロー宮殿」を堪能できます。


ユーキャン通販ショップ

栄光の古代文明

シルクロードと東西交渉

ルネサンス

リンク集

お知らせ